有名建築家の下請けだったので、高品質の家を低価格で提供できるのです。現役30年の大工社長が、社員大工と建てる自然素材の家です。

いくら、いい家を作っても感謝されないだから真柄工務店を再興したのです。父も、叔父も大工でした。

私は新潟県新潟市で、大工の長男として生まれました。
父も叔父も大工で、家の周りには、沢山の木材が山積みになっていました。

朝早くから、夜遅くまで、叔父の沢山のお弟子さんと共に、材木を刻んだり、道具の手入れをする父の姿を見て、かっこいいなと憧れていました。

家の前には小さな小川が流れ、周りは田んぼだらけでした。
冬場は、軒先にツララが出来るほど寒く、カンナかけをしている父の吐く白く息、汗をかいた体から沸き立つ白い湯気が特に好きでした。

生まれ故郷は、新潟の田舎

私が8歳の頃、父は、母の実家があった小金井市に引越し、そこで、真柄工務店を創業しました。

仕事は順調だったようで、東京に移ってからも、母の知人をスタートに、どんどん仕事も増えて行ったし、沢山のお弟子さんを取るようにもなっていました。

私も高校時代の夏休みには、バイトで父の仕事を手伝わせてもらい、幼い頃からあこがれていた大工の世界に入れた喜びで一杯でした。建物が完成した時の達成感を味わえたことも、今の私の原点になっているように思います。

高校卒業後は、迷わず、真柄工務店に就職しました

しかし、高校時代、バイトで入った頃とは違い、兄弟子たちの厳しさに驚かされました。当時はまだ徒弟制度が色濃く残っていましたので、私は、兄弟子たちと一緒に休憩を取る事さえ、許されませんでした。

社長の息子であるなんて、関係ありませんでした。

休憩時間には、刃物とぎをするのが、日課でした。研いだ刃物を父に見せると、「こんなのじゃダメだ」と、投げつけられました。地面に落ちた刃物は、せっかく砥いだのに、刃が欠けてしまうこともしばしばでした。欠けた刃物を拾っては、再び研ぎ直す毎日に、いつしか私の心は折れてしまいました。

辛い修行時代でした

兄弟子たちも、「本当に、親方の息子なのか?」と、私をさげすむばかりでした。
今思えば、全て、私の腕を磨くためにしてくれたことだったと理解できるのですが、当時は、辛いだけでした。

続きを見る

イベント情報

一覧を見る

お知らせ情報

 

まずはお気軽にご連絡ください

  • 資料請求はこちら
  • お問い合わせはこちら

メールセミナー 全7回:無垢材と塗り壁で自然素材を使った家を、無理なく手に入れる方法。

お名前
お住まい
メールアドレス

詳しくはこちら!

  • 真柄工務店
  • 社長の真柄です
  • 失敗しない家づくり
  • はなまるな家とは
  • 外断熱の家の魅力
  • 工務店のリフォーム
  • 施工事例
  • 本物の自然素材
  • お客様から頂いた声
  • 会社概要
  • 真柄工務店のスタッフ
  • 自慢の職人さん
  • しっかりした仕事の証
  • イベント・お知らせ
  • 真柄工務店ブログ
  • 資料請求はこちら
  • お問い合わせはこちら

お客様の声

  • U様
    (東京都西東京市)

  • N様
    (東京都世田谷区)

  • 谷口様
    (東京都稲城市)

  • 五十嵐様
    (東京都稲城市)

  • E様
    (西東京市)

  • I様
    (東京都東久留米市)

真柄大介  facebook

  • べっぴんハウス
  • アトピッコハウス